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伝統サンマ漁、不漁でピンチ 熊野など東紀州で廃業相次ぐ - 中日新聞

不漁により苦しんだ経験を話す大川晴彦さん=三重県熊野市の遊木漁港で(木造康博撮影)

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 深刻なサンマの不漁の影響を受け、サンマ漁発祥の地とされ、主要産地の三重県熊野市など東紀州地域で、サンマ漁船の廃業が相次いでいる。約十年前に十七隻だったのが、現在は六隻に減り、副業を始める漁師も。地元の漁業関係者は「このままでは伝統産業が消えてしまう」と危機感を募らせる。

 全国さんま棒受網漁業協同組合(東京)によると、サンマ漁は約三百年前、熊野市などに面する熊野灘で始まったという。地元の郷土史家がまとめた文献には「江戸時代の後期、熊野詣でが盛んな時期に、紀州のさんまは巡礼や旅人によって、全国にその名を知られるようになった」との記述もある。

 熊野灘で取れるサンマは、普通なら十一月中旬から十二月上旬に初水揚げされ、漁期は翌年五月まで。適度に脂が抜けて丸干しに適しており、熊野市内では加工業者が無数のサンマを天日干しにする「銀のすだれ」が風物詩になっている。

 三重県や地元漁協などによると、県内にサンマ漁船があるのは東紀州地域だけ。漁船による水揚げが近年で最も多かった二〇〇八年度は、熊野市で十一隻、近隣の尾鷲市で四隻、紀北町で二隻の計十七隻が操業。熊野市の約千百八十五トンを含め、計約千六百五十トンを水揚げした。

 ところが、翌年からだんだん取れなくなり、熊野、尾鷲両市とも一六年度にゼロに。その後も水揚げ量はわずかなままで、今季はまだ取れていない。

 もともと漁師は高齢化していたが、長引く不漁が追い打ちをかけ、廃業に追い込まれるケースが相次いだ。現在は熊野市で五隻、尾鷲市で一隻のみが操業。紀北町はなくなった。

 全国的にも同じ傾向がみられ、全国さんま棒受網漁協に所属する漁船も、最近十年間に二十隻以上が廃業している。国立研究開発法人「水産研究・教育機構」によると、不漁の明確な理由は分かっていない。

 熊野市の熊野漁協の浜田徳光組合長(70)は「まれに見る不漁。ちゃんと魚群が来るまでは、出漁もしづらい」と頭を悩ませる。

◆副業する熊野の漁師「収入半分になった」

 五十年以上、サンマ漁師を続けた熊野市遊木町の大川晴彦(きよひこ)さん(81)は、不漁の影響で二〇一八年初めに廃業した。

 一時は別の魚にも手を出したが、収入の柱だったサンマが取れないことには生計が成り立たなかった。漁船は売却し、三人ほどいた乗組員にはやめてもらうしかなかった。「これほどの不漁は初めてだった。年も取ったし、やめることにした」と話した。

 別の七十代の漁師は一九年に船を処分して廃業。「もう少し続けたかったが、もう取れないから」と言葉少なだ。

 副業を始める現役のサンマ漁師もいる。遊木町の浜中一茂さん(53)は近くの海岸で、台風などの際に動いてしまった消波ブロックを元に戻す作業を監視する仕事をしている。「サンマが取れていた時期に比べ、収入が半分に減ってしまった」と話す。

 (木造康博)

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January 22, 2020 at 02:00PM
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