平将門の墓は「東京都千代田区大手町1-1」にある。高層ビルが建ち並ぶビジネス街のど真ん中に、平安時代中期に「新皇」を名乗った豪族の墓があるのだ。京都では極悪人とされた人物の墓が、なぜ東京の中心地で守られ続けているのか。民俗学・文化人類学者の小松和彦氏が解説する——。
※本稿は、小松和彦著『神になった日本人』(中公新書ラクレ)の一部を、再編集したものです。
「千代田区大手町1-1」に立つ「塚」
大手町と言えば一流企業などのビルが林立するオフィス街である。そこは日本のビジネスの「中心」であり、さらには世界のビジネスの中心の一つと言っても過言ではないだろう。
ところが、その大手町のさらに「中心」、住所表記で言えば「東京都千代田区大手町1-1」に建っているのが「将門塚」と呼ばれる「塚」だというと、意外に思う方が多いにちがいない。管理しているのは、史蹟将門塚保存会という近隣の大企業などを中心に組織されている団体である。
もっとも、「塚」とはいうものの、そこに建っているのは「墓石」(板石塔婆)である。その表面の中央には大きく「南無阿弥陀仏」、その右と左に小さく「平将門 蓮阿弥陀仏」「徳治二年」と刻まれている。塚に対する信仰は厚く、いつ訪れても新しい花が供えられ線香の煙がなびいている。
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May 25, 2020 at 07:02AM
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「西では極悪人、東では神様」平将門にみる日本人の歴史感覚 東京の超一等地にお墓があるワケ - PRESIDENT Online
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